V系の歌詞に日常を持ち込むと話がややこしくなる件
V系とは「病的に白い肌をしたイケメンが、演歌以外の曲を歌うことによって注目を集める集団」である。
V系の歴史とは「闇に満ちた世界観」を作り上げる為の歴史であった。
その為、これまでV系は、
十字架に刻まれた血の雫がどうしただの、
氷のように冷たい鎖に繋がれた貴女を護る堕天使がどうしただの、
などと闇なセリフを重ね、一生懸命に闇を深めてきた。
しかし、いくら砂糖に砂糖をかけても、砂糖以上に甘くならないように、
闇に闇を重ねても、闇を深める事はできない。
そうした背景からV系は昨今、閉塞状態にある(しらんけど)。
しかし私は、この閉塞を突破する理論を編み出した。
その理論とは、
甘いものに塩を掛けると逆に甘みが引き立つ「塩スイカ理論」である。
これを応用し「V系の歌詞に日常を持ち込む」という手法が生みだした。
ここでいう日常とは、V系が絶対言わなさそうな、
「便座カバー」だとか「なんだかよく分からないイボ」といった言葉である。
こうした日常をV系の歌詞に混ぜてやると、闇は一気に深まるのである。
例えば、
Luna Seaのデジャビューという曲であれば
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原曲
「死(ミライ)・生(カコ)・現実(イマ)、人々のドラマシナリオはいつもデジャビュー」
死と書いてミライ、生と書いてカコ、現実と書いてイマ。
詩的な暗喩ですね。
しかし、これに日常を紛れ込ませると、、、、
「ザリガニ(ミライ)・滋賀(カコ)・歯茎(イマ)、人々のドラマシナリオはいつもデジャビュー」
・・・・。
唐突すぎて全然ついていけません。
ザリガニ・滋賀・歯茎のどこらへんが、ミライ・カコ・イマを象徴しているのかが、全然理解できません。
全然共感できません。
こういう何を考えているかすら分からないヤツが、一番やばいタイプのサイコパスです。
むしろザリガニ・滋賀・歯茎 で構成されたそのドラマシナリオが心配です。
・・・・・
いかがでしょうか?
原曲と比較し、かなり闇が深まったのではないでしょうか?
「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている」とニーチェはいいますが、私は覗かなくてもいい深淵を覗いてしまったのかもしれない。
こうして世界の闇は深まっていく。
あい うぉんと とぅ ふら~~い♪